ウクライナの歴史

ウクライナは東ヨーロッパにある国です。首都はキエフ。

人口は4130万人で、ヨーロッパで7番目に人口の多い国である。

ヨーロッパで2番目に貧しい国であり、高い貧困率に悩まされている。

農業が盛んで世界有数の穀物輸出国である。

経済的には天然ガスを中心とするエネルギー供給のほとんどをロシアに依存してる。

ウクライナ経済は、ロシアからの安価なエネルギー資源および原料の供給、

経済発展を続けるロシアや中国への輸出などによって支えられていた。

しかし、2005年ユシチェンコ大統領は就任直後、ロシアとは距離を置き、EUやアメリカ合衆国などとの関係を強化する姿勢を示した。アメリカなど西欧諸国からの投資拡大を見込んでのことだったが、実際にそれほど投資は増えず、逆にロシアからの安価なエネルギー資源供給が受けられなくなった。なお、2016年時点でウクライナはロシアに対し30億ドルの負債を負っており、今後、国際裁判所で争われることとなっている。

軍事面ではロシア、フランスに次いでヨーロッパで3番目に大きな軍隊を保有している。

ウクライナは多民族国家である。主要民族はウクライナ人で、全人口の約8割を占める。ロシア人は約2割を占める。ほかに少数民族としてクリミア・タタール人、

モルドバ人、ブルガリア人、ハンガリー人、ルーマ二ア人、ユダヤ人などがいる。

ウクライナは2021年に「先住民法」を制定しゼレンスキー大統領が署名して成立した。

その内容は、先住民としてウクライナ人やクリミア・タタール人など3民族を認定し、

ロシア人を除外したものだった。

これに対してロシア検察は翌日、欧州人権裁判所への提訴を発表した。

ウクライナには紀元前3万2千年から人が住んでいた。

13世紀以降さまざまな国によって支配され、分割された。

その領土は最終的にポーランドとロシア帝国の間で分割された。

ロシア革命後、ウクライナの民族自決運動が起こり

1917年6月23日、国際的に認められたウクライナ人民共和国が宣言された。

第二次世界大戦後は国全体がソビエト連邦の一部となった。

その後ソビエト連邦の崩壊に伴い、1991年に独立を果たした。

独立後は、ウクライナは中立国を宣言。ロシア等と限定的な軍事提携を結びつつ、

NATOとも提携を結んでいたが、2013年ヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定

の停止を宣言し、ロシアとの経済関係の緊密化を決定した。

これに対してデモや抗議運動が始まり、後に尊厳革命に発展した。

そして、ヤヌコビッチの打倒と新政府の樹立につながった。

これらの出来事に反発したロシアが、2014年3月クリミアに侵攻してクリミアを併合、

2014年4月のドンバス戦争を起こした。

2016年1月1日、ウクライナはEUと経済関係で緊密化をはかるなど西側諸国との関係が

深まったことに反発、2021年3月からロシアとの間で緊張が高まり、2022年2月24日

ロシアによるウクライナ侵攻が開始された。